昨日、明治大学で開催された「詩は何を語るのか? What Does Poetry Say? シンポジウムと朗読」は本当におもしろかった。
まずは新井高子さんのお話から。リズムを主体にした「言葉の作曲」を目指す詩人の、自分は日本語文学の流れのなかで式亭三馬が占めていたような位置にポジショニングしたい、という発表が新鮮でした。 つぎに、中村和恵さんがアボリジニの土地を維持するための歌に触れた経験から、言葉は基本的にこわいものである世界(自然)に対処するための唯一の手段であるという考えを示されました。随所に挿入される小咄に大笑いすると同時に、明晰な思考にがつんと衝撃を受けました。 それから、言葉は見えないものを見えるようにし、見えるものを見えなくする力を持つという山崎佳代子さんの流れるような考察の展開。効率的な課題遂行のため、言葉の意味がどんどんそぎ落とされ画一的になっていく都市の言語のなかでも、言葉の持つ多義性を肯定していこうという姿勢に深く共感しました。 そして管啓次郎さんの「詩を読むことは野生動物と出会うことと同じくらいにおもしろい」という発言から議論がどんどん発展。特定の種類の動植物以外の野生種にはじまり、おなじ人間どうしでも、一定の基準から逸脱するものをすべて排除してきた現代都市のなかで詩の言葉が果たす役割について論じられたあとで、四人の詩人の作品を朗読という形で肉声をとおして体験することができました。 自ら「同調」することを学びそれを実践する傾向が、いまの日本ではあまりに強くなってきているのではないか、という話を聞いてはたと思い出したのが幼稚園の学芸会のこと。着物がいいかドレスがいいかと先生に二択をせまられ、私は決められなかったばかりか逆上した。けれど結局さいごは着物を着てみんなと踊った。こんなふうに与えられた(つまり他人によって勝手に限定された)選択肢のなかから選びとるのではなく、自らつくりだしたい。そうすることでまわりの99パーセントの人に迷惑がられて疎外されても、野生の言葉でつづられた詩だけはいつでも力を与えてくれるのかもしれない。昨日は詩にそんなことを語ってもらえた気がしました。 リズムについて新井さんに質問したら、帰りに「ミて」というすてきな雑誌をいただきました。うれしいです。新井さん、ありがとうございました。 このシンポジウムについてはいつもお世話になっている管先生のブログで知りました。参加者の方のプロフィールがのっています。 http://monpaysnatal.blogspot.jp/2012/04/blog-post_29.html
2 Comments
From Keijiro Suga
4/30/2012 12:08:48 pm
Thank you very much for your kind observation! It was truly a ground-breaking event in contemporary writing. We'll be true to our words. We'll see what happens next!
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Rumi Hara
5/3/2012 02:39:53 am
Thank YOU for the amazing lecture! And your new poems were so very inspiring too. You showed us a new dimension of the universe!
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Rumi Hara原 瑠美 Archives
March 2015
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