「書くこと」と「描くこと」を大きなテーマにして進んでいこうと思うにあたって、日本語の音声がこのふたつを区別していないことになんだか勇気づけられました。象形文字が生まれたむかしにまでさかのぼらなくても、言葉と絵は人の意識のなかで、生活のなかで、いまでも根源的に切り離せないものになっている。
とはいえ書いているときは描くことができないので当たり前だがなやましい。やっぱり完全に「書く」=「描く」ではないんだ。 でもたとえば、なにか黄色いものを見てその色がどんな印象を与えるかによって「黄色」、「イエロー」、または「太陽」と言うのがいいのかなどと考えながら言葉を選びそれを文字として見える形で書いていく過程は、"YELLOW"を使うべきか"DEEP YELLOW"をベースにするべきか、赤を混ぜるべきか紫を少し入れてみたほうがいいのか、などと考えながら色を選び構図を考え描き始めるプロセスに似ている。頭の中の映像や音声や感覚といった情報を他者と共有できる形で伝え、その記憶を受け継いでいくことが言語の目的であるとすれば、「書くこと」と「描くこと」はどちらも同じプロセスを通じてそれに貢献している。そうだそうにちがいないなあと思って、また勇気づけられました。
0 Comments
Your comment will be posted after it is approved.
Leave a Reply. |
Rumi Hara原 瑠美 Archives
March 2015
Categories |