先月13日、フロリダで17歳の男の子を撃ち殺した男の無罪判決が出た。男はヒスパニック系、男の子は黒人。被害者が黒人でさえなければ、正当防衛が認められることはなかったはずだと多くの人が怒りを表した。振り払ったはずの人種差別がいつまで続くのかと、悲しみにくれた。
私は幸い、そんな怒りや悲しみを表す人たちに囲まれてジョージアで暮らしている。サバンナの、奴隷制時代の抑圧と憎悪を象徴する建物は観光名所に代わり、アメリカ中、世界中から訪れる人たちでにぎわう。それでも毎日のように目に入ってくるのは肌の色のちがいが生む差別や格差だ。観光客や学生が行き交う緑美しい公園で、教育や医療さえ満足に受けられないホームレスの人たちがたむろしている。みな黒人だ。車社会のアメリカで、車を買えない人たちが本数が少なく不便なバスを待っている。ほとんどが黒人だ。歯医者に行けば待合室で待っている人がすべて黒人のところとすべて白人のところとがある。私は白と黒、そのどちらにも当てはまらないアジア人として戸惑いながらも生活し、この社会の一部になりつつある。 水曜日に The New York Times に掲載された作家 ジェスミン・ワードの言葉に力が湧いた。 「(250年ものあいだ、あるグループの人たちが別のグループの人たちを所有していた)歴史や年月や人の命や死や脅威といったものがちいさな種のように隠されてきたという巨大で圧倒的な事実を前に私にできるのは、口を開けて言葉を発することだけなのだとわかった。」 http://opinionator.blogs.nytimes.com/2013/08/07/a-cold-current/?_r=0 言葉により、暗がりに隠されようとしているものに光を当てること、明るいところにひっぱり出すこと。それはひとりきりでも、力がなくてもできることだ。書くことと話すことの意味をあらためて認識するジャスミンといっしょに、私もうなずく。ほかの多くの読者とおなじように。 記事には Savannah College of Art and Design 出身で、ジョージア州アセンズ在住のイラストレーター、エレノア・デイヴィスのコミックがイラストレーションとして使用されている。このイラストにも記事に光を添える、言語的な力があるように思える。 ジェスミン・ワード:http://jesmimi.blogspot.com エレノア・デイヴィス:http://doing-fine.com
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Rumi Hara原 瑠美 Archives
March 2015
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