なぜ廃墟が好きなのかとよくきかれる。なぜだろう。窓から緑が吹き出しているような廃屋をみると「おお!」と思う。声を出した拍子にずれた内臓があるべき位置にぱこっとはまるような、気持ちのいいおどろきだ。そしてそう思う人はきっとたくさんいるはず。2009年5月に写真の軍艦島をおとずれたときは、植物が繁茂するかつての不夜城に興奮した人々が船をおおきくゆらした。
この気持ちはフランスの森と水の作家、ジャン・ジオノがいう「幸福」と同じ種類のものかもしれない。 「君たちが幸福を味わう日には、大きな木々が街路を破裂させ、蔓草の重みがオベリスクを倒し、エッフェル塔を傾けるだろう。そしてそういう日には、ルーヴル宮殿の窓口の前では、熟した豆の莢が開き、野生の種子が地面に落ちるかすかな音しかもう聞こえないだろう。その日には、メトロの洞窟から、目の眩んだ猪たちが尻尾を震わせて出てくるであろう。」 (山本省による『憐憫の孤独』からの抜粋和訳)
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Rumi Hara原 瑠美 Archives
March 2015
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